「蜘蛛の糸」
日本の童話名作選
芥川龍之介 作、遠山繁年 絵
偕成社
悪事を繰り返して地獄に落ちた かん陀多は、
かつて、蜘蛛を踏みつけようとしたものの、可哀想だからと踏まずに見逃したことがありました。
これを思い出したお釈迦様は、
地獄のかん陀多を救うために蜘蛛の糸を差し伸べます。
お釈迦様は、
かん陀多にも良心や抑制心があることに希望を託したのでしょうか。
かん陀多にとっても、たった一つの希望の糸口でありましょう。
しかし、地獄から這い出るために蜘蛛の糸をよじ登るかん陀多は、 我も我もと後に続いて登って来る他の罪人達を邪魔に思い、自分が登りきるためには他人はどうでもよくなってしまいました。
その抑えきれない気持ちは、まさに、
かん陀多が犯してきた数々の悪事の元凶に違いありません。
そして蜘蛛の糸は切れ、かん陀多達は皆地獄の底に落ちてしまいます。
以上、あらすじに自分の解釈を交えて述べてみました。文豪の明快で簡潔な名作に、私がこれ以上解釈を述べるのはふさわしくありませんので、あとはこの絵本の感想を。感銘した点は、極楽と地獄の対照的な雰囲気の明確な挿絵の表現です。罪人達がもがきひしめく暗い地獄。必死に一筋の蜘蛛の糸にしがみついた後に希望が絶たれる罪人達。その一部始終を見守るお釈迦様がおられる清らかでまぶしい極楽、何事もなかったように優雅に散歩を続けるお釈迦様の柔和なお姿。しかも、地獄の絵からは唸るような叫びやざわめきが、極楽の絵からはお釈迦様の衣のかすれる澄んだ音が聞こえてくるようです。絵本だからこそ、言葉の感覚と絵の効果が相まって、名作を難しく考えずに楽しめます。この絵がなかったら、大人は蜘蛛の糸を読んで、人の心の奥底云々ばかりをのたまうかもしれません。芥川龍之介は「蜘蛛の糸」を子どもが読むように創作したそうです。
原文のまま書かれています。すべての漢字にはひらがなが振ってあります。
中学の教科書にも掲載されています。
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